2025.10.3
今朝の天竜病院迄の散歩🚶♂️と💪筋トレの帰りの途中の山道にて。
その道沿いに残された、かつての天竜病院内に有った【簡易郵便局🏣】を人々に知らせる看板。これは恐らく50年位❓️前に建てられたのではないか❓️50年前ならば、僕が26歳の時です。天竜病院と言う名前に変わったのが、その頃ではないかなあ❓️僕の幼少期には、天竜病院は、【国立療養所・天竜荘】と言う名前でした。確か戦後直ぐか❓️或いはまた戦前から有ったのかは知りませんが、当時猛威を振るった【結核患者】専門の療養所――――つまりサナトリウムだったのです。赤松の松林に囲まれた小高い丘の上に天竜荘は有りまして、療養所の登り口、僕が朝🌄と午後に散歩🚶♂️する道沿いに守衛室が有りまして、入り口には道路を遮断する鉄製の片開き❓️か両開き❓️かは記憶に有りませんが、僕が確か幼稚園位か❓️小学低学年か❓️辺りには実物を見た記憶があります。と言うのは、🧑🤝🧑仲良しの同級生の故・奥宮君の家🏡と言うよりも職員の管舎が山道沿いに数軒有りまして、何回か彼の家迄歩いた記憶があります。写真に有る【簡易郵便局🏣】とは、戦前❓️または戦後直ぐか❓️辺りから天竜荘には、常に100人か❓️或いはまた数百人か❓️の慢性結核患者が住み療養を続けていまして、家族などに💌手紙を書き送っていたので御座います。今なら📱で済みますが、当時は手紙や葉書が唯一無二の親しい人々との交流出来る【場】なので有りました。慢性結核患者は何年間も、何年間もただひたすらに、結核菌が消え去るまで、刑務所に収監されている犯罪者と同じく、一人寂しく、耐え忍ぶ日々なので有りました……😢。この写真の【簡易郵便局🏣】は、天竜病院内と明記されていますから、恐らく、
国立療養所・天竜荘と言う名前が無くなり、天竜病院と言う名前に変わった頃❓️――――つまり今から50年位前に建てられたのではないか❓️【簡易郵便局🏣】とは、普通の郵便局🏣が無い場所、山間部の更にさらに奥深い、不便な箇所に日本各地に存在していました。つまり僻地と言われる場所です。一軒家――小屋みたいな所も有れば、山間部の小さな商店内に、コーナーを作り、それを簡易郵便局🏣として使うとか、或いはまた、天竜荘みたいな病院内にコーナーを設けたり、或いはまた小学校内とか、村の集会所内に設けたり、その方法は様々なもので有りました。とにもかくにも、何はともあれ、今と違い、家族や知人、友人、様々な所に連絡する術は郵便局のしかない時代が、随分長く続いたので御座います。恐らく古い郵便局員とか、OBの郵便局員しか知らないで有ろう【簡易郵便局🏣】の名前(名称)を僕は以前から、散歩🚶♂️中に見つけて戦前❓️或いはまた戦後直ぐ辺りかの時代の天竜荘、または天竜病院に入院されていた無数の名も知らない人々の悲しい、空しい、寂しい、辛い、やるせない、日々の彼らの心の内の一片の【思いエネルギー】をしみじみと、感じるのです………😓。『嗚呼、何時に成ったらここを出られるのだろう………😢。あの人(彼・彼女)は今どうしているのだろう。会いたい、会いたい。会って抱きしめたい……😢。嗚呼~………😓。』
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【簡易郵便局🏣】と言う名(名称)から瞬間的に僕の頭の中で💡閃き書き上げた、古き悲しい時代の名もなく、貧しく、美しく活きた若い男女👫の切ない、LOVE STORY…………ロミオ×ジュリエットだけが青春の恋ではない。この辺鄙な地、天竜壮の中に収監されていたの名もなき、若き貴方たちにも、悲しい恋は有ったのです……。嗚呼天竜荘に咲き、散ったロミオ×ジュリエット……ロミオ×ジュリエット~………😓。


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