2026.4 15
迄散歩しながら、ふと思い出した。
今から13年位前に水窪町の郵便局🏣で
仕事をしていた際に、地元の郵便局の
OBの郵便局員の確か❓️高木さんと言う
方にお訊きした沢山の水窪町の昔話の中に
昔は――つまり今から70~80年以上❓️
前の昭和21~31年ぐらい前には、
――つまり1946~1956年頃。
水窪町の町から更にさらに山奥の
部落に住む人々は月に一度、部落
全員で夜中の11時過ぎ頃大きな
背負子(しょいこ)を背負い、🦯🩼を
着いて、先頭に立つ者が松明(たいまつ)の
篝火(かがり火)を持ちながら、細い山道を
皆でお互いに声を掛けながら、
歩いて🚶♂️🚶🚶♀️山を下って来た。
軈て朝の8時頃には水窪町の街🏢🏬🚶♀️🚃
に、辿り(たどり)着く。
街中に入る少し前の🌄朝7時前には、
山道の程よい広い場所に座り、
各々(おの各々)持参した🍙おむすび、
おにぎり🍙と沢庵(たくあん)で、
朝めし☕🍞🌄を済ませ、
一休み🐌💨💨、ゆっくり🚢☁☁して
親父や、若者は懐(ふところ)から
刻み😃🚬煙草と、キセルを取り出して、
如何にも旨そうに深く吸いながら、
【さぁ、もう一息だなあ(笑)…☺。
腹も膨れたし、もう少し休んでから
行くずら…✌。】
と、回りの十数人の老若男女の人々に
声を掛けた(笑)❗
軈て誰言うともなく全員が立ち上がり、
脇に下ろした背負子をまた背負い、
皆また街に向かって歩き🚶♀️🚶🚶♂️歩き
始めるので有りました。
軈て朝の8時頃には水窪町の街🏢🏬🗼✨に
辿り着きました。
水窪町の街には今も昔も数十軒の様々な
商いや――つまり小売商店が有りまして、
丁度店を開け始め出しました。
山がの人々――つまり、山奥人々は
皆各々(それぞれ)思い思いの店に行き、
買いたいもの、買う予定の物の
品定めをします。
あの時代――つまり今から70~80年以上
前には、山奥の人々は、現金収入が少なく
それでも僅かばかりのお金💰と
山奥の生活の為自給自足の椎茸や、
お茶🍵や、野菜やイモ類を商品の
代金の代わりにして、日用品や、衣類や
珍しい食べ物🍌などを買いました。
軈て🍱お昼頃に成り、山奥の人々は
水窪町の街中の広場で持参した🍙などを
食べて休憩☕😃🚬致しました。
午後の一時過ぎには、
皆で揃って又山奥の自分たちの
部落に向かい、歩き🚶♀️🚶🚶♂️始めます。
背負子には各自が買った様々な物が
入り、中々重い……😡。
しかしながら、月にたった一度の
消費の時です。
前から欲しかった、あれこれ。
自宅🏡で留守をしている老人👴👵
に煙草や、
仏壇用の線香や、孫が好きなお菓子など
家族の為に使う日用品などを満載して
又10時間以上掛けながらとぼとぼと、
坂道を登って行きます。下りは8時間位
で街🏢🏬🚶♀️🚃中迄で来られますが、
帰宅は11時間位掛かる。
背中の荷物📦の重さと、登り道の為に
仕方有りません。
帰宅は、下りの時のニ、三倍休憩☕😌💕を
取りながら、山奥の我が家に漸く
辿り着いたのは深夜2時近かった……😭。
各自我が家に辿り着くと、倒れる様に
布団に倒れ込んで爆睡😪💣💤
するので御座いました………😢。
参加者全員が、お昼過ぎ迄
綿の様に、疲れはてて眠りこけました……🐱。
❎❎❎❎❎❎❎❎❎❎❎❎❎❎❎
これが今から70~80年前の水窪町の
山奥に生きる人々、いやいや日本全土の
山間部に生き続けて来た人々の
日常生活の一辺などで有りました。
正にまさに宮本常一さんの語る
【山に生きる人々】――のオーラ、
バイブレーションの世界で有りました。
この時代には、まだまだ、日本人の
心に義理と人情と、心優しい、心暖かい
ものが間違いなく【存在】していました。
詐偽や、殺人など有り得ない、
理想郷では有りませんが、ほのぼのとした、
牧歌的な時代が、皆の心に生きて居ました……☺。
❎❎❎❎❎❎❎❎❎❎❎❎❎❎❎
僕は、あの時代が一番好きだ……😋。
アメリカならば、1940~1950年代。
あと少し1960年代の初め頃迄……☺。
あのアメリカの砂漠🏜️地帯……✌の
何時までも続くハイウェイを
ガタガタのポンコツCAR🚙が
走って行く………。
車の中には若い素敵な💓👨❤️👨💓カップル
が乗っていて、あのユックリジズムの
音楽が、カーラジオ📻🔊から流れ
二人の笑い声が絶えること無く、
この道の終着点は二人の永遠の幸せな
人生の生活………✌😃💡。
ふと二人が空を見上げると、中空高く
素敵な葉巻型の巨大な宇宙船が……
白い飛行機雲を放ちながら、ゆっくりと、
彼方の空に消えて行く………🐱。
嗚呼、一体全体、空飛ぶ🛸円盤の
世界とは、そうであって欲しいのだ……😍。



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