2026.4.22
昨夜布団の中で、
①南条範夫さんの・名作
の、【三百年のベール】(批評社・刊)
昭和年発行。
②榛葉英治さんの現代語訳。村岡素一郎さん
の、歴史的名著・名作・力作
の、【史疑・徳川家康事項】⏩⏩↓↓↓
【史疑・徳川家康】(河出文庫)
昭和年発行。
の二冊を少し読みました。
上の写真は、浜松城🏯内の、資料館
に有る、徳川家康(実は世良田元信)の
像。榛葉英治さんの現代語訳
【史疑・徳川家康】(河出文庫)の
表紙絵を参考に作られたと感じます。
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どう考えても🤔、どうしても理解不能
なのは、徳川家康が、晩年に至る迄
築山御前――つまり正妻。最愛の妻。
岡崎二郎・三郎信康――つまり息子
(🔰初めての息子)。
に対する懺悔の気持ちが、
たった一滴も出ていない、感じられない
と言う普通有り得ない、人間としての
人としての心(精神)を一切合切感じられない❓️
つまり、若しも従来の通説が正しく
三河の岡崎城🏯の城主であった
徳川家康が、妻の築山御前や、息子の
信康を殺さざるを得なかったならば、
一生懺悔、懺悔の気持ちを忘れ得ない筈
です。若しも、それを感じない人
であったならば、徳川家康と、言う人は
正にまさに【人非人】――つまり
人でなし………😭で有ります❗
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――つまり全くの、あかの他人
ならば、当たり前かも知れません……🤔。


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