2026.7.14

 僕の旧知人、一色真理(いっしき・まこと)

さんは確か僕より2歳又は3歳年上です。

小学生🎒の時からUFOに大変深く

興味関心が有られまして、確か

小学生の五、六年の時に

JFSA(日本空飛ぶ🛸円盤研究会)の

名古屋支部長を担当されて居ました。

一色真理さんの父親は、当時の

【名古屋テレビ】と言う会社――今は

有るのか❓️どうかは知らない。

の重役の由です。

この話は、僕が15歳~16歳❓️の

🔰初め頃に髙梨純一先生から直に

聞きました。

まぁお金💰持ちのお坊っちゃんかなぁ❓️

JFSAが、僅か3年間で休会してしまい、

一色真理さんは当時既に髙梨純一先生の

会――つまり近代宇宙旅行協会にも

入っておられたらしく、

髙梨純一先生の会の熱心な会員でしたね(笑)。

一色真理さんは他にも複数の

UFO関係のグループの会員でしたね。

岐阜の大橋基久先生の

岐阜空飛ぶ🛸円盤研究の会とか、

NHKの製作関係の重鎮で有った

中道定男さん――つまり平野威馬雄

さんの親友で、平野威馬雄さんの

名作、名著

【それでも円盤🛸は飛ぶ❗――

日本における空飛ぶ🛸円盤】

の巻末の名文を書かれたお方。

がやっておられた

【新しい宇宙の会】などにも入って

おられた。

一色真理さんは優秀で早稲田大学の

ロシア文学部に入られました。

早大時代に

【UFO学生ゼミ】

と言うグループを立ち上げて僕にも

入る様に勧められました。

確か僕が16歳の時に。

結局【UFO学生ゼミ】は僕と、もうお一方

確か山形県の確か❓️鎌田さんと言う

方以外には人が集まらずに、

空中分解してしまいました。

一色真理さんは早稲田大学時代に

最初🔰の詩集を新世代工房と言う、

出版社から出されました。

【これが全然売れない❌】

と嘆かれて僕に📩手紙を書いて

来られました。

髙梨純一先生は一色真理さんが

詩を書くきっかけは平野威馬雄さんの

詩集を買い読んだ所、

【この程度の詩なら自分にも書ける】

と、書き出され始めた由です。

一色真理さんは早稲田大学卒業後に、

YAMAHA楽器の出されている雑誌の

編集部に就職されて長年に亘り

活躍されたらしいでした。

その後詩の専門雑誌の編集部に

入られました。そこで長年に亘り

編集長を務められました。

一色真理さんの詩集は沢山有る

らしく、処女作の新世代工房の

詩集も、今でも出ているらしいでした。

お元気で80~81歳❓️でご活躍されて

いるらしいです。

かなり昔に中日新聞に一頁特集で

一色真理さんのインタビュー記事が

載りました。僕は即切り抜き

髙梨純一先生に送りました。

確か❓️僕が35歳❓️位の時でしたね。

――😃💡そうそう、僕の会の

会紙も毎号中道定男さんに送りました。

一度中道定男さん奥様からお礼の

電話を頂きました。確か僕が25歳❓️の

頃でしたか❓️

当時僕の会はピーク時に450名の会員が

居ました。その他に各界の著名人の

方々30名位の方々に毎号贈呈して

居ましたね(笑)❗

月刊紙です。毎日深夜2時頃迄、

編集に終われて居ました。

毎日沢山来る手紙類の返信や、

原稿書きに忙しくやって居ましたね(笑)❗

今から53年位大昔の話さ(笑)❗


コメント

このブログの人気の投稿

2026.5.8

2025.4.23

2026.4.3